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## 派遣の人妻、慰安旅行の甘い誘惑

秋風が肌を撫でる10月、由紀は派遣会社からのメールを眺めながら、ため息をついた。毎週のように送られてくる求人メール。そのほとんどが、彼女の現在の立場、すなわち「派遣社員」に特化したものだった。正社員になれない、不安定な立場。世間ではそんな風に言われがちだが、由紀にとってはむしろ、この身軽さが何よりも心地よかった。

結婚して5年。夫の浩二は大手企業に勤める正社員。穏やかで優しい人柄で、由紀を温かく支えてくれている。浩二の給与があれば生活に困ることはない。だからこそ、由紀はあえて派遣という働き方を選んでいた。週3日の勤務、定時上がり。残業はほとんどなく、有給休暇も取りやすい。正社員のような激務や、責任の重さに囚われることなく、自分の時間を大切にできる。家事や趣味に費やす時間も十分にあり、浩二との穏やかな日々を満喫していた。

「由紀ちゃん、明日のランチ、予約しといたよ」

リビングから浩二の声が響く。

「ありがとう、浩二。楽しみにしてるね」

画面に目を戻す。今日のメールは、いつもと少し違っていた。差出人は、先月まで勤めていた派遣先、老舗菓子メーカーの「さくら堂」から。件名は「社員旅行のご招待」。

「え、社員旅行？私、もう辞めたのに？」

由紀は訝しみながらメールを開いた。そこには、彼女の派遣期間中に親しくなった同僚たちからのメッセージと、旅行の詳細が記されていた。場所は、近郊の温泉地。日程は週末の二泊三日。費用は全額会社負担。そして、彼女が派遣社員であることを理解した上で、友情を込めて招待している、と。

派遣社員は、会社にとってはあくまで「人材」であり、社員旅行に招待されることは稀だった。ましてや、退職した派遣社員を、という前例は聞いたことがない。しかし、さくら堂の社員たちは、由紀にとって特別な存在だった。特に、同世代の女性社員たちは、休憩時間やランチタイムにいつも気遣ってくれ、仕事の相談にも親身に乗ってくれた。彼女たちとの交流は、由紀が派遣という働き方を選んで良かったと思える数少ない出来事だった。

「行きたいな…」

由紀の胸に、小さな戸惑いと期待が芽生えた。浩二に相談してみよう。

「ただいま、由紀。あれ、どうしたの？」

帰宅した浩二に、由紀はさくら堂からの招待状のことを伝えた。

「へぇ、珍しいね。でも、派遣だったのに招待してくれるなんて、良い会社だったんだね」

浩二は意外そうな顔をしたが、すぐに笑顔になった。

「僕、仕事で今週はちょっと遅くなる日が多いんだけど、由紀は自由なんだろ？たまには気分転換に良いんじゃないか？」

浩二の言葉に、由紀の背中を押された気がした。

「でも、浩二は寂しくない？私、泊まりで出かけるなんて久しぶりだし…」

「大丈夫だよ。僕も昔、派遣で働いていたことがあるから、そういうのはよくわかる。由紀だって、たまには息抜きしたいだろ？それに、さくら堂の社員さんたち、由紀がよく話してたよね。きっと楽しい旅行になるさ」

浩二の理解と後押しに、由紀は感謝の気持ちでいっぱいになった。

「ありがとう、浩二。行ってくるね！」

こうして、由紀はさくら堂の慰安旅行に参加することになった。

旅行当日、由紀は少し緊張しながらも、期待に胸を膨らませて集合場所に向かった。集まったのは、派遣期間中に親しくなった女性社員たち数名と、彼女たちの派遣仲間。正社員の姿は一人もいない。どうやら、これは「派遣社員限定」の慰安旅行らしい。

「由紀ちゃん！来てくれたんだね！」

一番に駆け寄ってきたのは、派遣仲間だった春香だった。

「春香ちゃん！本当に招待してくれてありがとう！」

「とんでもない！由紀ちゃんがいなくて寂しかったんだから。今日は思いっきり楽しもうね！」

バスに乗り込み、温泉地へ向かう。車内は、女性たちの賑やかな話し声で溢れていた。仕事の愚痴、恋愛話、最近の流行り…由紀もいつの間にか、その輪に加わっていた。

「ところで由紀ちゃん、浩二さんは大丈夫なの？」

隣に座っていた美咲が、悪戯っぽく笑いながら尋ねた。

「え、あ…大丈夫だよ。浩二、応援してくれてるから」

「へぇ、旦那さん、 nice guys だね！羨ましいな〜」

春香が乗ってきた。

「由紀ちゃんは、結婚しても派遣続けてるんだよね？仕事もそこそこ、プライベートも充実してて、理想的だなぁ」

「でも、そんな由紀ちゃんみたいな人って、たまに『ちょっとつまみ食い』とかしちゃったりしないの？」

美咲の言葉に、車内の空気が一瞬、ピリッとした。由紀は戸惑った。

「つまみ食い…？」

「そうそう。だって、旦那さんも理解あるっていうし、普段は仕事もそこそこ、自由な時間もたくさんあるんだろ？だから、たまには『これくらい』なら…って、思っちゃったりしない？」

美咲の言葉は、まるで探るような、挑発的な響きを持っていた。由紀は、彼女たちの本当の意図を測りかねていた。

「由紀ちゃん、そんな顔しないでよ。別に責めてるわけじゃないんだから」

春香がフォローするように言ったが、その言葉の裏には、どこか含みがあるように聞こえた。

旅行先は、自然豊かな静かな温泉地だった。宿に着き、浴衣に着替えた一同は、早速露天風呂へ向かった。温泉に浸かり、旅の疲れを癒す。しかし、由紀の心には、先ほどの美咲の言葉が引っかかっていた。

夕食は、部屋食だった。豪華な懐石料理が並び、皆、お酒も進み、会話も弾む。

「乾杯！」

「「「乾杯！」」

由紀もグラスを掲げた。

「由紀ちゃん、今日から三日間、よろしくね！」

春香が由紀のグラスに自分のグラスをぶつけた。

「ありがとう、春香ちゃん。私も楽しみだよ」

「ところで由紀ちゃん、旦那さんとはいつも、どんな風に過ごしてるの？」

美咲が、またもや核心を突くような質問をしてきた。

「えっと…特に変わったことはないけど。一緒にご飯食べたり、映画見たり、週末はドライブしたり…」

「ふーん。でも、由紀ちゃんみたいな綺麗な奥さんがいたら、旦那さんも大変なんじゃない？浮気とか、心配したりしない？」

「う、浮気…？」

由紀は、思わず言葉を詰まらせた。浩二はそんな人ではない。由紀は、それを信じていた。

「だって、世の中、派遣社員の奥さんって、旦那さんの不満を埋めるために、他の男と…なんて話も聞くじゃない？」

「そうそう！だから、由紀ちゃんみたいな、旦那さんにも余裕があって、自分にも時間がある人って、誘惑に負けやすいんじゃないかって…」

春香と美咲は、まるで示し合わせたかのように、由紀を追い詰めていく。由紀は、自分たちが「派遣の人妻」という共通点を持っているからこそ、こんな話になったのか、それとも、彼女たち自身が、そんな風に考えているのか、分からなくなっていた。

「私、そういうことは…」

由紀が反論しようとした時、一人の派遣仲間の女性が、突然大声で笑い出した。

「ははは！由紀ちゃん、真面目か！まあ、そんな堅苦しいこと言わなくても、たまには息抜きだって必要でしょ？ねぇ？」

その女性は、由紀の肩をポンと叩いた。その手には、すでに数杯目の日本酒が握られていた。

「そうだよ、由紀ちゃん。私たちは、正社員みたいに会社に縛られてないんだから、もっと自由でいいんだよ」

「それに、世の中には、もっと刺激的なことを求めてる人がたくさんいるんだから」

彼女たちの言葉は、だんだんエスカレートしていく。由紀は、その場の空気に呑まれそうになりながらも、懸命に自分を保とうとしていた。

夜も更け、宴もたけなわとなった頃、春香が由紀の耳元で囁いた。

「ねぇ、由紀ちゃん。この後、部屋で二次会しない？」

「二次会…？」

「そう。ちょっと、秘密の…ね？」

春香は、由紀の耳に唇を近づけ、意味深な笑みを浮かべた。その顔には、昼間の爽やかな笑顔とはかけ離れた、妖艶な光が宿っていた。

由紀は、その場の空気に流されそうになる自分に、恐怖すら感じていた。彼女たちの言う「つまみ食い」、その言葉の裏にある、ゲスすぎる慰安旅行の実態。それは、彼女が想像していたような、純粋な友情の再会とは、全く違うものだった。

（私は、どうすればいいの…？）

由紀の心は、不安と好奇心、そして、かすかな抵抗感で揺れ動いていた。このまま、彼女たちの誘いに乗ってしまうのか。それとも、この異常な空気を断ち切るのか。

由紀は、遠いリビングの浩二の顔を思い浮かべた。彼の穏やかな笑顔、そして、信じてくれているという確信。

「ごめんなさい、春香ちゃん。私、ちょっと体調が悪くなっちゃったみたい」

由紀は、絞り出すような声で言った。

「え…？嘘でしょ？せっかくの旅行なのに？」

春香の顔から、笑顔が消えた。

「ごめんね。でも、本当に無理みたい。浩二にも心配かけちゃうし…」

由紀は、慌てて部屋を出た。廊下を早足で歩きながら、背後から聞こえる春香たちの冷たい視線を感じた。

部屋に戻り、ドアを閉めた瞬間、由紀はどっと疲れが押し寄せてきた。

（あの人たちは、一体何を考えていたんだろう…）

由紀は、派遣社員である自分たちが、社会から疎外されている、あるいは、隙間産業のように見られているような、そんな嫌な気分に襲われた。いつでも「切れる」存在だからこそ、倫理観さえも緩んでしまうのか。

しかし、由紀は、自分はそんな風にはなりたくない、と強く思った。浩二という、理解し、愛してくれる人がいる。そして、自分自身の、譲れないものがある。

窓の外には、静かな夜空が広がっていた。由紀は、その夜空を見上げながら、自分自身の心に誓った。

（私は、私らしく生きる。誰かの思惑に流されることなく、私の人生を、私自身で歩んでいくんだ）

翌日、由紀は早めに宿を出て、自宅へと戻った。春香たちからの連絡は、一切なかった。

その後、由紀は派遣社員という働き方について、改めて考えるようになった。それは、決して「楽だから」「気楽だから」という理由だけで選ばれるものではなく、そこにも、それぞれの人生の選択と、譲れないものがあるのだと。

「おかえり、由紀。どうだった？旅行」

帰宅した浩二が、由紀の顔を見て、少し心配そうに尋ねた。

「ただいま、浩二。うん、楽しかったよ。でも、ちょっと、色々考えさせられることもあったかな」

由紀は、浩二に微笑みかけた。その笑顔は、以前よりも、ずっと強く、そして、穏やかだった。派遣社員という立場で、彼女は社会の歪みや、人間関係の複雑さに触れた。しかし、それと同時に、自分自身の強さ、そして、大切なものを再確認することができたのだ。