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## 深淵の蜜

蝉の声が容赦なく耳をつんざく。都心の喧騒とは隔絶された、ひっそりとしたマンションの一室。照りつける陽光を遮る厚手のカーテンが、室内に重苦しい静寂をもたらしていた。

テーブルの上には、飲みかけのワイングラスと、散らばったスナック菓子の袋。そして、無機質な光を放つノートパソコン。画面には、一時停止されたままの動画が映し出されていた。

男の名は、佐竹。48歳。小綺麗にしているつもりだが、隠しきれない疲労の色が顔全体に滲み出ている。シャツのボタンは一つ外され、ネクタイは緩められ、まるで抜け殻のようだ。

数日前、佐竹の人生は音を立てて崩壊した。きっかけは、一本の動画だった。

遡ること数ヶ月前、佐竹は、ある女性と出会った。名前は美咲。年齢は佐竹よりも一回りほど若く、妖艶な美しさを持っていた。佐竹は瞬く間に彼女に心を奪われた。美咲との関係は、佐竹にとって刺激的で、まるで青春を取り戻したかのような錯覚を覚えるほどだった。

しかし、その関係は、佐竹にとって都合の良い、不倫という名の遊びだった。美咲以外にも、佐竹には複数の女性がいた。その中の何人かと、佐竹は遊び半分で、卑猥な動画を撮影していた。それは、佐竹にとって、自身の支配欲と優越感を満たすための、幼稚で危険なゲームだった。

そのゲームは、突然終わりを告げた。美咲から一方的に別れを告げられたのだ。佐竹は、その理由を理解できなかった。いや、理解しようとしなかった。プライドが許さなかった。

捨てられた屈辱と、美咲への執着心が、佐竹の心を蝕んでいった。そして、歪んだ愛情は、やがて復讐心へと変わっていった。

佐竹は、かつて美咲と撮影した動画を、ネット上にアップロードしたのだ。匿名のアカウントを使い、拡散を促すような煽情的な文言を添えて。

予想通り、動画は瞬く間に拡散された。美咲を含む、動画に映っていた女性たちの名前や住所が特定され、ネット上は炎上、祭り状態となった。匿名掲示板には、罵詈雑言が飛び交い、女性たちは人格を否定され、晒し者にされた。

佐竹は、当初、その状況を快感として味わっていた。復讐が成功した、と悦に入っていた。しかし、その感情は長くは続かなかった。

動画が拡散されて数日後、美咲が自殺したというニュースが飛び込んできた。佐竹は、全身の血の気が引くのを感じた。頭の中が真っ白になり、激しい動悸が止まらなかった。

美咲の死は、佐竹の良心を激しく揺さぶった。彼は、自分が犯した罪の大きさを、ようやく理解したのだ。

パソコンの画面には、美咲を含む、3人の女性が映っている。彼女たちは、楽しそうに笑い、はしゃいでいた。その無邪気な笑顔が、今の佐竹には、針のように突き刺さる。

佐竹は、震える手で動画を再生した。美咲の声が、部屋に響き渡る。

「佐竹さん、もう！　恥ずかしいから、やめてくださいよ！」

美咲は笑いながら、そう言っている。その声は、まるで佐竹を責めているかのようだ。

佐竹は、突然、嘔吐した。胃の内容物が、テーブルの上に散らばる。彼は、嗚咽しながら、頭を抱えた。

「ごめん…ごめん…」

佐竹は、何度も何度も謝罪の言葉を繰り返した。しかし、その声は、誰にも届かない。届くはずもない。

美咲は、もういないのだ。

佐竹は、立ち上がると、カーテンを開けた。強い日差しが、部屋の中に差し込む。彼は、その光を浴びながら、目を閉じた。

そして、彼は、ある決意をした。

翌日、佐竹は警察署に出頭した。彼は、自身の犯した罪を、すべて告白した。

取り調べ室で、佐竹は、静かに語り始めた。美咲との出会い、不倫関係、動画の撮影、そして、動画のアップロード…彼は、すべてを包み隠さず話した。

捜査官は、佐竹の言葉に、黙って耳を傾けた。

佐竹の供述は、詳細で、矛盾がなかった。彼は、深く後悔しているようだった。

取り調べが終わると、佐竹は、逮捕された。彼は、ネット上に動画をアップロードした罪、そして、美咲を自殺に追い込んだ罪で、起訴されるだろう。

裁判では、佐竹の犯した罪の重さが、厳しく問われることになるだろう。

佐竹は、刑務所の中で、自身の犯した罪を償い続けるだろう。

しかし、美咲は、もう戻ってこない。

佐竹の犯した罪は、決して許されるものではない。彼は、その重荷を背負い、一生、苦しみ続けるだろう。

この物語は、ネット社会における匿名性の危険性、そして、人間の心の脆さを、改めて私たちに教えてくれる。

私たちは、この物語から、何を学ぶべきなのだろうか？

それは、私たち自身に、問いかけられている。

最後に、パソコンの画面には、美咲の笑顔が映し出されている。その笑顔は、まるで私たちに、訴えかけているかのようだ。

「人を傷つけるようなことは、絶対にしないでください」

その言葉は、私たち一人ひとりの心に、深く刻み込まれるだろう。そして、その言葉を胸に、私たちは、より良い社会を築いていかなければならない。