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## 露天風呂の向こう側

 silica株式会社、通称「シリカ」は、成長著しいIT企業だった。その躍進を支えるのは、優秀な社員たち。日頃の労をねぎらうべく、会社は総勢50名規模で、古都・京都郊外にある老舗旅館「月光庵」への社員旅行を企画した。

添乗員として、あるいは単なる参加者として、皆、期待に胸を膨らませていた。その中には、営業部エースの田中一郎もいた。彼は、30代半ば。仕事はできるが、どこか影のある男だった。最近、妻とは冷え切った関係。家庭での居場所を失い、会社でのみ存在意義を見出そうとしていた。

社員旅行の夜。宴会場は、賑やかな歓声に包まれていた。しかし、田中は一人、早めに部屋に戻っていた。彼の頭の中には、ある計画が進行していた。それは、彼の心の闇の深さを示す、許されざる計画だった。

月光庵は、露天風呂が自慢の旅館だった。特に、女性客専用の露天風呂は、周囲の竹林に囲まれ、プライベート感が高いと評判だった。田中は、この露天風呂に、ある「仕掛け」を施したのだ。それは、小型の隠しカメラ。精密機器に異常に詳しい彼は、それを巧妙に設置し、誰にも気づかれないようにしていた。

彼は、部屋のベッドに腰掛け、タブレット端末を操作した。画面には、暗闇の中に浮かび上がる、露天風呂の映像が映し出されていた。まだ誰も入っていない。当たり前だ。これから、社員たちは順次、露天風呂へと向かうだろう。

しばらくして、画面に変化が現れた。湯気が立ち上り、何人かの女性社員の姿が映し出された。彼女たちは、仕事の愚痴をこぼしたり、プライベートな話に花を咲かせたりしている。田中は、その様子を無表情に眺めていた。

その中に、彼はひときわ目を引く女性を見つけた。彼女は、企画部の佐々木優子。田中と同じく30代で、未婚だが、最近、結婚を控えていると噂されていた。優子は、この旅行にも、婚約者との馴れ初めについて、同僚に嬉しそうに話していた。

優子が、湯気の中に現れた。彼女は、露天風呂の縁に腰を下ろし、ゆっくりと身体を湯に沈めた。その姿は、写真で見るよりも、ずっと魅力的だった。肩から滑り落ちる髪、湯気でほんのり赤らんだ肌。田中は、息を呑んだ。

優子は、一人で湯に浸かっていた。周囲を気にすることもなく、目を閉じて、リラックスしている様子だった。田中は、タブレットの画面を食い入るように見つめた。彼の中に、抑えきれない欲望が湧き上がってきた。

彼女のあられもない姿。それは、彼にとって、禁断の果実であり、同時に、現実から逃避する唯一の手段だった。家庭での冷え切った関係、仕事でのプレッシャー。それら全てを忘れさせてくれる、一瞬の陶酔。

田中は、指先で画面をなぞった。優子の水滴がついた肌、濡れた髪、そして、湯けむりの向こうに微かに見える谷間。彼の理性は、その時、完全に崩壊した。

「…綺麗だ」

誰にも聞かれない声で、彼は呟いた。

次に現れたのは、経理部の佐藤美咲だった。彼女は、既婚者で、二人の子供がいる。夫は、海外赴任中であり、彼女は一人で子育てをしていた。田中は、以前から美咲に、密かな想いを寄せていた。

美咲が、露天風呂にゆっくりと入っていく。彼女の身体は、田中が想像していたよりも、ずっと豊満だった。水面に映る彼女の姿に、田中はさらに欲望を掻き立てられた。

彼女もまた、一人で湯に浸かっていた。時折、空を見上げ、遠い空に思いを馳せるような表情を見せる。田中は、その表情にも、ある種の魅力を感じていた。

「…寂しいんだろうな」

田中は、美咲に自分を重ね合わせるように、そう思った。

時間は容赦なく過ぎていく。露天風呂には、次々と社員たちが現れ、そして、湯から上がっていく。田中は、それらを全て、冷徹な目で見つめ続けた。まるで、自分がそこにいるかのように、あるいは、自分が彼らの一部であるかのように。

その時、画面に、ある社員の姿が映し出された。それは、田中自身だった。彼は、露天風呂にゆっくりと入り、湯に浸かっていた。彼もまた、一人だった。

彼が、露天風呂の湯に身体を沈める。冷たい石の感触が、彼の肌に心地よかった。湯気の中に、ぼんやりと自分の姿が映る。

「…俺も、ここで、何を見ているんだろうな」

彼は、自分自身に問いかけた。

露天風呂の向こう側。そこには、社員たちの、仮面を剥がされた素顔があった。そして、田中一郎という男の、剥き出しの欲望があった。

翌朝。月光庵での社員旅行は、無事に終了した。皆、リフレッシュした様子で、バスに乗り込んだ。田中も、いつものように、穏やかな表情をしていた。しかし、彼の心の中には、昨夜の記憶が、鮮明に残っていた。

彼が仕掛けた隠しカメラ。その映像は、誰にも見られることなく、彼のハードディスクに保存された。それは、彼にとって、決して他者に知られることのない、秘密の宝物となった。

 silica株式会社。その内部には、まだ、彼のような「秘密」を抱えた人間が、どれほどいるのだろうか。田中は、バスの窓の外を流れる景色を眺めながら、そんなことを考えていた。

社員旅行は、終わった。しかし、田中一郎の、露天風呂の向こう側への旅は、まだ始まったばかりだった。彼の心に、隠しカメラのレンズのように、冷たい光が宿っていた。