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■ 凍てついた朝に灯った炎

夜明け前の静寂は、どこか冷たい空気を纏っていた。シーツの冷たさを肌に感じながら、私はゆっくりと目を覚ました。隣には、もう何年も温もりを交わしていない夫の寝息だけが微かに響いている。結婚して十数年、私たちの間には言葉の壁だけでなく、肉体的な距離も深く、冷たく横たわっていた。夫の「ED」という診断は、私たちの関係を静かに、しかし確実に、氷河期へと押しやった。

「もう、朝だわ…」

独り言のように呟き、私はベッドから滑り落ちた。日課となっている息子の部屋へ向かう足取りは、いつもと変わらない。中学二年生になった息子、健太。思春期特有の気だるさと、まだ幼さが残る顔立ち。そのギャップが、私には眩しく映ることもあった。

「健太、起きなさい。学校でしょ」

ドアを開け、いつものように息子の背中に声をかけた。しかし、その瞬間、私の動きはピタリと止まった。視線は、ベッドに横たわる息子の下半身に釘付けになった。

朝の淡い光が、薄い掛け布団越しに息子の体の輪郭をぼんやりと照らしている。その光が、信じられないものを映し出していた。息子の、まだ幼いながらも、確かに膨張している「それ」。それは、あまりにも鮮烈で、私の意識を根底から揺さぶるものだった。

「……！」

息を呑んだ。心臓が激しく脈打つ。なぜ、この光景に私の目が釘付けになるのだろう。夫とは、もう何年も夫婦としての営みがない。いや、営みどころか、触れ合うことさえ、意識的に避けていた。冷え切った関係の中で、私はいつしか、女性であることを忘れていた。母親として、妻として、それ以外の自分を生きることに慣れすぎていた。

なのに、目の前の息子が、無垢な姿で「男」としての兆候を見せている。その、生々しい生命力。それは、まるで私が長い間、心の奥底に閉じ込めていた何かを、無理やり引きずり出すかのようだった。

健太が、うっすらと目を開けた。

「…母さん？」

眠そうな声。私の顔を見るなり、少し戸惑った表情を浮かべる。そして、自分の体に視線を落とし、慌てて掛け布団をさらに引き上げた。顔が赤くなり、まるで私が何か悪いことを見ているかのように、身を縮める。

「ご、ごめん…起こそうと思って…」

私の声は、自分でも驚くほど震えていた。息子は、ただ単に朝の生理現象で目覚め、それを恥ずかしく思っているだけだ。それは、ごく自然なこと。しかし、私の心は、その「自然」の奥に、もっと深く、もっと個人的な、禁断の扉を開けられてしまったような感覚に襲われていた。

息子の顔は、まだ少年特有の、あどけなさが残っている。しかし、その「それ」の存在は、紛れもない「男」の兆候だった。そして、その兆候が、私の長い間眠っていた「女」の部分を、静かに、しかし確かに呼び覚まし始めたのだ。

「大丈夫、別に…」

私は無理に平静を装って、息子の頭を撫でた。その髪の柔らかさ、指先に伝わる熱。それは、息子という存在の確かな温もりであり、同時に、私自身の体温が、驚くほど熱を帯びているのを感じた。

部屋を出て、自分の部屋に戻る。鏡に映る自分の顔は、いつもと変わらない。しかし、その瞳の奥に、以前はなかった輝きのようなものが宿っているように見えた。それは、恐怖なのか、それとも、微かな興奮なのか。自分でも、この感情の正体を掴みかねていた。

夫との関係は、もう修復不可能なくらい冷え切っている。それは、私自身が一番よく知っていることだった。夫は、私を女性として見ていなかった。いや、見ることから、逃げていた。私もまた、夫を男性として意識することを、諦めていた。

でも、息子は違う。息子は、私にとって、かけがえのない「子供」であり、同時に、成長していく「男」でもある。その、生命力に満ち溢れた姿。それは、忘れていた自分自身の、生命力をも刺激するかのようだった。

その日から、私の日常は、静かに、しかし確実に変化していった。息子を見るたびに、あの朝の光景が脳裏をよぎる。その度に、体の奥底から、熱いものがこみ上げてくるような感覚に襲われる。それは、罪悪感とも違う、もっと原始的な、抗いがたい衝動だった。

息子は、私との距離感を多少気にするようになったように見えた。私が、以前よりも息子の体に触れる機会が増えたからかもしれない。肩を叩いたり、背中をさすったり。その度に、息子は少し身じろぎをする。その反応が、私をさらに、その衝動へと駆り立てる。

ある夜、夫が早々に寝室へ向かった後、私は一人、リビングのソファに座っていた。窓の外は暗く、部屋には静寂が満ちている。夫の寝息は、もう遠く、聞こえない。私は、自分の指先を見つめた。この指先が、かつて夫の肌に触れていたことを、思い出そうとする。しかし、その記憶は、あまりにも遠く、霞がかかっている。

代わりに、息子が寝ている部屋の方へ、視線が向く。その部屋の向こうに、健太がいる。息をしている。眠っている。その、生命の気配。それが、私の心を、激しく揺さぶる。

私は、まるで自分自身に問いかけるように、静かに呟いた。

「私、まだ…生きてるんだわ…」

その言葉は、夫への、あるいは自分自身への、長い間の沈黙を破る、小さな叫びだった。凍てついた朝に灯った、微かな炎。それは、まだ小さく、頼りない炎だった。しかし、その炎は、確かに私の内側で、燃え始めていた。

この炎が、どこへ向かうのか。私自身にも、まだ分からない。ただ一つ確かなのは、私が、もう以前の私ではないということ。そして、この、忘れていた「女」としての自分を、もう一度、意識し始めているということだった。それは、危うく、そして、甘美な、新たな旅の始まりの予感だった。

翌朝、私はまた息子の部屋へ向かった。いつものように、ドアを開ける。息子は、まだ眠っている。その寝顔は、穏やかで、無邪気だ。私は、そっと息子の枕元に手を伸ばし、その頬に、そっと触れた。

息子の顔が、微かに動いた。そして、うっすらと目を開けた。

「…母さん？」

いつもの、眠そうな声。しかし、その瞳には、昨日のような戸惑いは、もうなかった。むしろ、私を見つめるその視線には、かすかな、期待のようなものが宿っているように見えた。

私の心臓が、再び早鐘を打ち始めた。この、静かな朝に、何かが、確かに、動き始めている。それは、禁断の果実への誘いなのか、それとも、失われた自分を取り戻すための、決意なのか。

私は、息子の顔をじっと見つめ返した。そして、唇の端を、微かに、持ち上げた。

「おはよう、健太」

私の声は、昨日よりも、ずっと落ち着いていた。しかし、その声の奥には、抑えきれない、熱いものが、静かに、渦巻いていた。

もう、後戻りはできない。私は、この、凍てついた日常に灯った炎を、抱きしめる覚悟を決めていた。そして、この炎が、私をどこへ連れて行くのか、ただ、その身を任せるしかなかった。