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風は冷たかった。東京の雑踏を掻き分け、灰色のビルが立ち並ぶ街を、一人の男が足早に歩いていた。その男の名は、田島健太。32歳。無職。趣味は、映画鑑賞と、少しばかりの妄想。そして、今、彼はあるメールの返信を待っていた。

件名は「AV撮影参加希望」。本文には、彼の抱く奇妙な願望が、ぎこちない言葉で綴られていた。それは、決して一般的なAV作品とは異なる、ある種の「実験映画」への参加希望だった。きっかけは、インターネットで見つけた怪しげな広告だった。「AV撮影の松下一夫塾では素人AV監督、素人AV男優を大募集中です！撮影されたい内容を書いてお気軽にメールください！ ※同一シーンでアングル違いの映像を繰り返しています。あらかじめご了承ください！」

この広告、健太には奇妙な魅力を感じさせた。まるで、低予算インディーズ映画の募集広告のようにも思えたのだ。彼は映画が好きだった。特に、実験的な手法を用いた作品に魅せられていた。アングルの繰り返しという注釈は、むしろ彼にとって興味をそそるものだった。それは、単なるコスト削減ではなく、意図的な演出の一環だと彼は解釈した。

返信はすぐに来た。簡潔で、事務的な言葉だった。「応募ありがとうございます。あなたのアイデアに基づき、撮影を行います。詳細は後日改めてご連絡いたします。」

数日後、再びメールが届いた。内容は、撮影日時と場所、そして、健太が送ったアイデアに基づいた、詳細なシナリオだった。それは、彼の妄想を具現化した、ある種の寓話だった。タイトルは「記憶の残像」。舞台は、彼の住む古びたアパートの一室。主人公は、孤独な男。彼は、過去の出来事を断片的に、繰り返し思い出す。

撮影当日、健太は緊張していた。現場は、想像以上に質素だった。狭い部屋に、カメラと照明器具が置かれているだけ。監督は、広告に記載されていた松下一夫という男ではなかった。代わりに、年齢不詳の女性が立っていた。彼女は、淡々と指示を出す。無表情で、機械的な動きで。

撮影は、シナリオ通りに進んだ。健太は、過去の出来事を演じる。幼い頃の記憶、初恋の思い出、そして、忘れられない別れ。それぞれのシーンは、何度も、違うアングルで撮影された。同一シーン、アングル違いの繰り返し。当初、健太は不自然さを感じていたが、次第に、その繰り返しの中に、ある種の美しさを見出すようになっていった。

例えば、彼が公園のブランコに乗るシーン。同じアングルで、彼がブランコに乗っている様子が何度も撮影される。最初はただ単調な繰り返しのようだが、見る角度、光の加減、そして、健太の表情の変化によって、そのシーンが徐々に、複雑な意味合いを帯びてくる。子供の頃の無邪気さ、青春時代の希望、そして、大人になってからの孤独が、アングルの違いによって、少しずつ滲み出て来る。

撮影は、夜遅くまで続いた。疲労困憊の健太だったが、不思議な達成感を感じていた。彼は、自分の内面を、今まで以上に深く理解した気がした。女性監督は、一切言葉を発することなく、淡々と撮影を進め、最後に小さく頷いただけで、撮影は終了した。

後日、完成した映像が送られてきた。健太は、息を呑んだ。それは、彼が想像していた以上に、美しく、そして、悲しい作品だった。同一シーンの繰り返しが、時間と記憶の歪みを表現しているように感じられた。アングルの違いによって、同一のシーンがまるで異なる意味を持つように変化していた。それは、単なる「素人AV」などではなく、実験的な映像作品だった。

健太は、この作品を誰にも見せるつもりはなかった。しかし、彼は、この経験を通して、何か大切なものを見つけた気がした。それは、表現することの喜び、そして、自分の内面と向き合うことの大切さだった。彼は、再びパソコンを開き、新たなアイデアを書き始めた。今度は、もっと複雑で、もっと個人的な物語を。松下一夫塾の広告は、彼の魂を揺さぶった。それは、低予算、粗削り、しかし、確かに、彼の内面に訴えかける何かを持っていたのだった。そして彼は思った、これは始まりに過ぎないと。彼の「記憶の残像」は、新たな物語へと繋がってゆくのだ、と。