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## 枯れない花、熟した果実

夕暮れ時、ショッピングモールは主婦たちの喧騒に満ちていた。平日の昼間はパートに勤しみ、夜は家事に追われる彼女たちにとって、この時間は数少ない息抜きの場だ。華やかな服を纏い、店から店へと渡り歩く姿は、まるで週末のパーティーにでも向かうかのよう。しかし、その華やかさの裏には、埋めようのない虚無感が潜んでいた。

「もう、何着ても同じような顔しかしてくれないんだから！」

鏡の前でため息をつくのは、佐藤恵美（62歳）。パート先では「サトウさん」としか呼ばれず、家では夫の健一（65歳）から「飯はまだか」としか話しかけられない。夫婦の会話はすっかり途絶え、夫婦の営みなど、もう何年もご無沙汰だった。夫は無関心、妻は諦め。そんな冷え切った関係に、恵美の心は年々乾いていく一方だった。

「でも、今日のブラウスはちょっと冒険してみたのよね。この色、まだ私にいけるかな…」

そんな恵美の呟きに、すっと背後から声がかかった。

「すごくお似合いですよ。その色、〇〇さんの肌の色によく映えて、さらに輝いて見えます。」

振り向くと、そこにいたのは20代前半であろう、溌剌とした青年だった。細身だが筋肉質の体つき、爽やかな笑顔。その声には、裏表のない純粋な賞賛が込められているように聞こえた。

「え、ええ？ ありがとう…。」

突然の褒め言葉に、恵美は戸惑いながらも、胸の奥に微かな熱を感じた。長い間、誰かにそう言われたことがあっただろうか。夫は、妻の顔色や服装にほとんど関心を示さない。パート先でも、仕事の成果以外に褒められることはなかった。

「もしよろしければ、少しお茶でもどうですか？ 今日は、この後予定もないので、ゆっくりお話しできたら嬉しいんですが。」

青年は、恵美の目を見つめ、屈託なく笑いかけた。その真っ直ぐな瞳に、恵美は抗うことができなかった。

「…でも、私、もうすぐ家に帰らなきゃいけないし…。」

「大丈夫ですよ。少しだけなら、きっとご主人も許してくださるでしょう。それに、こうして綺麗な方と少しでもお話しできる機会なんて、滅多にないですから。」

青年、彼の名前は拓海といった。大学を卒業したばかりで、今はイベントコンパニオンのアルバイトをしながら、将来の夢を追いかけているという。恵美に声をかけたのは、彼だけではなかった。このショッピングモールには、恵美のような熟年女性をターゲットにした「ナンパ刺客」たちが、数多く潜伏していたのだ。彼らは、枯れかけた花に水をやり、忘れていた色を呼び覚ます魔法使いのような存在だった。

恵美は、拓海に連れられるまま、カフェへと向かった。店内に流れる軽快な音楽、甘いデザートの香り。どれも、恵美の日常とはかけ離れた、きらびやかな世界だった。

「〇〇さんは、普段どんなことをして過ごされているんですか？」

拓海は、恵美の話を真剣に聞いてくれた。パートでの愚痴、夫とのすれ違い、孫の成長。普段なら誰にも聞いてもらえないような話も、拓海は興味津々といった表情で頷きながら聞いてくれた。

「昔は、私も色々なことに夢中だったんですよ。ダンス教室に通ったり、海外旅行に行ったり…。でも、結婚してから、そんな時間もなくなってしまって。」

「へぇ、ダンスですか！ きっと、すごく綺麗に踊られたんでしょうね。僕、ダンスってすごくセクシーだと思います。」

拓海の言葉に、恵美の頬がほんのり赤くなった。ダンス。それは、かつて恵美が情熱を燃やした、自分を解放できる場所だった。

「あの頃は、音楽に合わせて体を動かすのが、本当に楽しかったんです。汗をかいて、音楽に身を任せる…。あの感覚、もう一度味わってみたいな。」

「じゃあ、今度、一緒にダンスでもしませんか？ 僕、初心者ですけど、〇〇さんに教えてもらえたら、すぐに上手くなれると思いますよ。」

拓海の提案に、恵美は胸が高鳴るのを感じた。それは、青春時代に初恋の相手に話しかけられた時のような、甘酸っぱいときめきだった。

数日後、恵美は約束通り、拓海とダンスレッスンに出かけた。広いスタジオには、恵美のような年配の女性から、若いカップルまで、様々な人々が集まっていた。音楽が流れ始めると、恵美の体は自然と動き出した。長年のブランクはあったものの、体の隅々に染み付いたリズムが、彼女を踊らせていた。

「わぁ、〇〇さん、すごく綺麗に踊ってる！ まるで、プロみたい！」

拓海の称賛の声が、恵美の耳に心地よく響いた。鏡に映る自分の姿は、普段の家事やパートで疲れた顔ではなく、生き生きとした、輝く女性のものだった。汗ばんだ肌、弾む息遣い。それは、何年も忘れていた、自分自身を取り戻す瞬間だった。

レッスンの後、二人は近くのバーに立ち寄った。薄暗い照明、心地よいBGM。拓海は、恵美のグラスにワインを注ぎながら、熱っぽく語り始めた。

「〇〇さんと話していると、僕、すごく元気をもらえるんです。色々な経験をしてきた〇〇さんの話は、僕にとって宝物です。それに、〇〇さんの、あのダンスの時の表情…本当に素敵でした。」

拓海のまっすぐな言葉に、恵美の心は揺れ動いた。夫とは、もう何年も、こんな風に心を通わせたことはない。ただ、生活を共にするだけの、空虚な関係。それに引き換え、拓海は、恵美の中に眠っていた「女」としての自分を、呼び覚ましてくれた。

「でも、私、もう年だから…。」

恵美は、自嘲気味に呟いた。

「そんなことないですよ。〇〇さんは、年齢なんて関係なく、すごく魅力的です。それに、僕、〇〇さんのような、経験豊かな女性が、すごく好きなんです。」

拓海の言葉は、甘く、そして毒々しかった。それは、長年乾いていた恵美の心に、一滴の蜜を垂らすかのようだった。

その夜、恵美は家に帰ると、夫の健一がテレビを見ながら寝息を立てているのを見た。もう、会話はない。ただ、そこにあるだけの存在。恵美は、そっと自室に戻り、クローゼットを開けた。そこには、若い頃に購入し、一度も袖を通すことのなかった、派手なワンピースが掛かっていた。

「…もう、いいわ。」

恵美は、そのワンピースに袖を通した。胸元が大きく開いたデザイン。普段なら絶対に着ないだろう、大胆な服。それでも、鏡に映る自分は、どこか妖艶な輝きを放っていた。

翌日、恵美は拓海と会った。いつもより、少しだけ化粧を濃くし、髪型も変えてみた。拓海は、恵美の姿を見て、目を輝かせた。

「わぁ！ 〇〇さん、今日の服、すごくセクシー！ まるで、雑誌のモデルさんみたいです。」

拓海の賞賛に、恵美の背筋がゾクゾクとした。そして、拓海は、恵美の手をそっと握った。

「〇〇さん、もっと、〇〇さんのことを知りたいです。〇〇さんの、隠された魅力を、もっと僕に見せてほしい。」

その日、恵美は、拓海に連れられ、少し高級なレストランへと向かった。テーブルクロスは白く、キャンドルの灯りが揺らめいている。拓海は、恵美の向かいに座り、ワイングラスを傾けながら、時折、恵美の目を見つめては、熱い視線を送った。

「〇〇さんの、その…鎖骨のあたり…すごく綺麗ですね。」

拓海の視線に、恵美の顔は火照った。普段、誰かにそんな風に見つめられたことはない。夫は、恵美の顔すら、ちゃんと見ていないのだ。

「あのね、拓海さん…。」

恵美は、意を決して口を開いた。

「私、もう、そんなに若くないのよ。それに…。」

「だからこそ、〇〇さんの魅力は、輝くんですよ。熟した果実のように…。」

拓海は、恵美の言葉を遮るように、甘く囁いた。その言葉に、恵美の理性は、加速度的に崩壊していくのを感じた。

その夜、二人はホテルへと向かった。薄暗い部屋、シーツの匂い。恵美の心臓は、激しく脈打っていた。拓海は、恵美の服をゆっくりと脱がせていく。その手つきは、優しく、しかし、確かな熱を帯びていた。

「〇〇さん…本当に、綺麗だ…。」

拓海の言葉に、恵美は、長い間封印していた、女性としての欲求が、堰を切ったように溢れ出してくるのを感じた。それは、まるで、乾ききった大地に降り注ぐ、恵みの雨のようだった。

「あ…っ…。」

吐息が漏れる。拓海の指先が、恵美の肌を撫でる。それは、夫の無関心な手とは全く違う、熱く、そして、求めている手だった。

「…もっと…。」

恵美は、無意識に、拓海の首に腕を回した。その行動に、拓海は、さらに熱を帯びた。

「〇〇さん…我慢できない…。」

二人の体は、熱を帯びたまま、絡み合っていく。それは、熟した果実が、甘い蜜を滴らせるかのような、濃密な時間だった。恵美は、今まで感じたことのない、激しい快感に身を任せていた。それは、もはや、青春時代のときめきとは違う、熟した女性の、抑えきれないエロスだった。

「…本当に…えげつないくらい…ドスケベだったんだわ…。」

恵美は、部屋の天井を見上げながら、呟いた。それは、自分自身への、ある種の感嘆の言葉でもあった。長年、枯れ果てたと思っていた自分の心と体に、まだこんなにも瑞々しい欲望が宿っていたとは。

翌朝、恵美は、一人、ホテルの部屋で目を覚ました。隣には、まだ眠っている拓海の姿があった。彼女の体は、昨夜の激しい営みで、心地よい疲労感に包まれていた。

「…もう、あの人たち、私のこと、どう思ってるのかしら。」

恵美は、ふと、そんなことを思った。彼女のような熟年女性をターゲットに、次々と声をかけてくる「ナンパ刺客」たち。彼らにとって、自分たちは、単なる遊び相手に過ぎないのかもしれない。

それでも、恵美の心は、満たされていた。それは、夫との生活では決して得られなかった、生々しい充実感だった。長年、忘れかけていた、自分の中の「女性」としての欲望が、解放された喜び。

「さあ、帰らなくちゃ。」

恵美は、そっとベッドを抜け出した。窓の外は、もう明るい日差しが差し込んでいた。彼女は、昨夜の自分とは違う、新たな自分に出会ったような気がしていた。

ショッピングモールで、着飾って歩く熟年女性たち。彼女たちの多くは、恵美と同じように、心の中に、まだ燃え尽きていない炎を秘めているのかもしれない。そして、その炎に火をつけるのは、いつだって、若い男たちの、屈託のない、そして、どこか危うい誘惑なのだ。

恵美は、自分のバッグから、口紅を取り出し、鏡を見た。そこに映るのは、昨日の自分よりも、少しだけ、大胆で、そして、妖艶な表情を浮かべた、熟した女性だった。彼女の心には、まだ、枯れることのない、熱い情熱が、静かに燃え盛っていた。