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## 鏡の中の私

「ちょっとしたお小遣い稼ぎに…」

その言葉は、あの日の私の耳元に、甘く、そして危険な響きをもって落ちてきた。日々の生活に追われ、将来への漠然とした不安を抱えていた私にとって、それはまるで一筋の光のように思えたのだ。

「いい話があるんだよ。君みたいな綺麗な子にぴったりな仕事さ。」

そう言って私に微笑みかけたのは、映像監督の東条だった。彼は、業界では「魔術師」と呼ばれるほど、独特の世界観で観る者を魅了する才人だと聞いていた。しかし、その言葉の裏に潜む真実を、当時の私は知る由もなかった。

約束の場所は、都心から少し離れた隠れ家のようなスタジオだった。高級感漂う内装に、ふかふかのソファ。まるで別世界に迷い込んだような気分だった。そこにいたのは、東条監督と、私と同じくらいの年齢らしき女性が数名。彼女たちは、皆、洗練された雰囲気と、どこか妖艶な魅力を放っていた。

「今日は、新しい企画のオーディションを兼ねて、ちょっとした体験をしてもらうんだ。」

東条監督は、軽やかな口調でそう言った。彼の言葉は、どこか人を安心させるような、それでいて抗えない魅力を帯びていた。私たちは、勧められるままにソファに腰を下ろし、会話を始めた。

「私、この仕事、全然経験ないんですけど、大丈夫でしょうか？」

私が不安げに尋ねると、東条監督は悪戯っぽく笑った。

「心配いらないよ。君みたいな素質のある子には、むしろ新鮮な魅力があるんだ。」

そして、彼は私に、ある「脚本」を渡した。それは、男女の親密な関係を描いた、非常に生々しい内容だった。私は、それを読んだ瞬間に息を呑んだ。私の想像を遥かに超える、大胆な描写。

「これは、一体…？」

「まあ、見ての通りさ。君たちに、新しい自分を発見してもらうための、ちょっとした仕掛けなんだ。」

東条監督は、こともなげに言った。他の女性たちも、私と同じように戸惑いの表情を浮かべていた。しかし、誰一人として、その場から立ち去ろうとはしなかった。私も、あの時、なぜ立ち去らなかったのか、今でも自分でも分からない。

「まずは、リラックスして、この脚本の雰囲気を掴んでほしいんだ。」

そう言って、東条監督は、私にワインを勧めた。一口飲むと、体がじんわりと温かくなり、緊張がほぐれていくのが分かった。そして、彼は、私に「演技指導」と称して、驚くほど近距離で接してきた。

「もっと、大胆に。もっと、情熱的に。」

彼の言葉は、私の耳元で囁くように響いた。その声は、まるで私の中に眠っていた何かを呼び覚まそうとしているかのようだった。彼は、躊躇なく、私の体に触れてきた。最初は、驚きと戸惑いで体が硬直した。しかし、彼の指先が肌をなぞるたびに、抗いがたい熱が全身に広がっていくのを感じた。

「大丈夫、大丈夫。これは、演技だから。」

彼がそう囁くたびに、私の理性が霞んでいく。そして、ある一線を超えた瞬間、私の体は、まるで意思を持ったかのように、彼の求めに応え始めた。

それは、私にとって、未知の体験だった。今まで知らなかった、自分の体の可能性。快感という名の、甘く、そして危険な迷宮に迷い込んでしまったかのようだった。鏡に映る自分の姿は、私自身であるはずなのに、まるで別人のように見えた。熱に浮かされたような瞳、紅潮した頬。その姿は、私に、これまで経験したことのない「生々しさ」と「いやらしさ」を突きつけてきた。

その日、私たちは、皆、東条監督の「魔術」にかかり、ある「共犯関係」を築き上げた。平均年齢35歳。人生の様々な経験を積んだ、いわゆる「人妻」や「人妻予備軍」と呼ばれる私たち。それぞれの胸に、秘めたる欲望や、満たされない何かを抱えていたのかもしれない。

スタジオを出た後、私の心は、静かな興奮と、微かな罪悪感で満たされていた。あの夜の出来事は、まるで夢だったかのようにも思えた。しかし、鏡の中の私は、確かに、あの夜の私だった。

「ちょっとしたお小遣い稼ぎに…」

その言葉が、私の運命を大きく変えてしまった。あの時、もう少しだけ、勇気を出して、その場を離れることができていたら、私の人生は、どう変わっていたのだろうか。

それから、私は、東条監督からの誘いを断ることができなくなった。彼の「新しい自分を発見する」という言葉は、私にとって、抗いがたい魅力となっていた。そして、鏡の中の私は、徐々に、あの夜の「生々しさ」と「いやらしさ」を、自分のものとして受け入れていくようになった。それは、私に、ある種の解放感と、そして、さらに深い闇へと誘う、危険な甘美さをもたらした。

この物語は、私自身の、そして、あの夜、私と共にいた女性たちの、ある種の「覚醒」の物語なのかもしれない。それは、決して肯定されるべき道ではないのかもしれない。しかし、一度踏み入れてしまった世界は、あまりにも魅力的で、そして、あまりにも、私を惹きつけてやまなかった。

鏡の中の私に、私は問いかける。これは、本当に、私なのだろうか。それとも、私は、東条監督が創り上げた、もう一人の自分になってしまったのだろうか。その答えは、まだ、私自身にも分からなかった。ただ、鏡の中の私だけが、その答えを知っているかのように、静かに微笑んでいるだけだった。