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## 偽りの金脈

真昼の太陽は、カーテンの隙間から差し込む光さえも、この静まり返ったリビングに虚しさを際立たせるように感じられた。優子は、ソファに沈み込み、遠くで響く車の音に耳を澄ませていた。夫の隆は、典型的なサラリーマンで、月に一度あるかないかの昇給を頼りに、家計はいつも火の車だった。子供たちの学費、住宅ローン、そして将来への漠然とした不安。優子の胸には、常に重たい影がのしかかっていた。

「何か、楽に稼げる方法はないのかな…」

最近、SNSでよく見かける「高収入」「在宅ワーク」といった甘い言葉が、優子の心をくすぐる。しかし、どれもこれも胡散臭く、一歩踏み出す勇気が持てなかった。風俗で稼ぐという選択肢は、頭の片隅にぼんやりとあったものの、それは「自分とは縁のない世界」だと、無意識に蓋をしていた。

そんなある日、優子は近所のママ友、美咲から誘いを受けた。美咲は、最近引っ越してきたばかりで、優子とはまだ数回しか会ったことがない。それでも、彼女はいつも明るく、どこか余裕のある雰囲気を漂わせていた。

「優子さん、最近ちょっと元気ないね？何かあった？」

カフェで向かい合って座り、美咲は優子の顔を覗き込んだ。優子は、いつものように経済的な悩みを打ち明けた。美咲は、優子の話に静かに耳を傾け、時折、同情するように頷いた。

「わかるわ。私も昔はそうだったの。でもね、ある人に出会って、人生が変わったのよ。」

美咲は、妖艶な笑みを浮かべながら、優子にある「ビジネス」の話を持ちかけた。それは、高級な会員制クラブのオーナーとの繋がりを利用して、特別な「おもてなし」をすることで高収入を得られるというものだった。

「もちろん、体目当てじゃないのよ。でも、会員様は独身で、洗練された大人の方ばかり。お話が上手で、勉強になることもたくさんあるの。それに、お礼も弾むわ。」

優子は、話を聞きながら、胸が高鳴るのを感じた。それは、恐怖と期待が入り混じった、未知への扉が開かれる予感だった。美咲は、優子の戸惑いを察したように続けた。

「最初は、私も不安だったの。でも、実際にやってみたら、全然怖くないのよ。むしろ、自分に自信が持てるようになる。それに、稼いだお金で、家族も笑顔にできるでしょ？」

美咲の言葉は、優子の心の隙間に巧みに入り込んだ。楽に稼げることへの憧れ、家族を幸せにしたいという願い、そして、自分自身も輝きたいという隠れた欲求。それらが、美咲の言葉に後押しされ、優子の中で膨らんでいった。

数日後、優子は美咲に連れられ、高級ホテルのラウンジにいた。そこに現れたのは、身なりの良い、紳士然とした中年男性だった。彼の名は、五十嵐。会員制クラブのオーナーだという。

「初めまして、優子さん。美咲さんから、あなたのお話は伺っています。」

五十嵐は、優子の手を優しく握り、温かい言葉をかけた。彼の話し方は、人を安心させるような、それでいてどこか人を惹きつける不思議な魅力があった。優子は、五十嵐の言葉に次第に心を許していった。

「私達のビジネスは、単なる援助交際とは違います。我々は、会員様と、知性と品格を兼ね備えた女性との、特別な交流の場を提供しているのです。」

五十嵐は、優子の目を見つめ、熱っぽく語った。彼は、優子のような「世間知らずで、真面目な女性」こそが、会員様たちに求められているのだと説明した。

「あなたは、これから多くのことを学ぶでしょう。言葉遣い、立ち居振る舞い、そして、自分自身の魅力を最大限に引き出す方法を。それは、あなた自身の人生を豊かにするためにも、必ず役立つはずです。」

優子は、五十嵐の言葉に、まるで魔法にかけられたかのように聞き入っていた。自分に自信がないと思っていた自分が、洗練された大人になれる。そして、家族にももっと良い生活をさせてあげられる。そんな未来が、眩しく見えた。

初回の「おもてなし」は、都内の高級レストランで行われた。会員は、穏やかな物腰の、初老の男性だった。彼は、優子に様々な質問を投げかけ、優子の話に熱心に耳を傾けた。優子は、緊張しながらも、五十嵐に教わった「上品な話し方」を心がけた。男性は、優子の純粋さや、少し戸惑いながらも一生懸命話す姿に、満足そうに頷いた。

「君は、まるで天使のようだね。癒されるよ。」

そう言って、男性は優子の手にそっとキスをした。優子は、心臓がドキドキするのを感じながらも、どこか満たされたような気持ちになった。そして、その夜、優子は予想以上の「お礼」を受け取った。

「やっぱり、これが正解だったんだ…」

帰りのタクシーの中で、優子は胸をなでおろした。家族のために、自分は間違った道を選んだわけではない。そう自分に言い聞かせた。

しかし、五十嵐のビジネスは、徐々にその姿を変えていった。初回のおもてなしは、あくまで「お試し」であり、もっと「深い関係」を求められるようになっていったのだ。

「優子さん、会員様はあなたにもっと心を開いてほしいと願っているのよ。少しだけ、あなたの魅力を解き放ってみない？」

美咲は、優子にそう囁いた。そして、五十嵐は、優子に「特別なトレーニング」を受けさせ始めた。それは、より誘惑的な服装、大胆な言動、そして、相手を満足させるための「テクニック」だった。

優子は、次第に抵抗を感じなくなっていった。最初は戸惑い、罪悪感を感じていたが、高額な報酬、そして、自分自身が「特別」な存在になったような錯覚に、溺れていった。

「私は、ただの奥さんじゃない。特別な女性なの。」

そう自分に言い聞かせ、優子は、五十嵐が用意した、より「リスクの高い」仕事も請け負うようになった。それは、会員の自宅に招かれ、一人きりで過ごす夜だった。

ある夜、優子は、ある男性の自宅にいた。彼は、五十嵐の顔見知りだという、派手な身なりの男だった。部屋に入ると、部屋には高級な酒と、むせ返るような香水の匂いが充満していた。男は、優子に無理やり酒を飲ませ、強引に迫ってきた。

「嫌だ…！」

優子は、必死に抵抗しようとしたが、酔いと恐怖で体が動かなかった。男は、優子の抵抗を力でねじ伏せ、優子の体を奪った。

「…ふざけんな！」

優子は、その場で吐き気がこみ上げるのを感じた。これは、自分が求めていた「特別な体験」ではなかった。これは、ただの、卑劣な行為だった。

翌日、優子は、美咲に全てを打ち明けた。美咲は、優子の話を聞き、一瞬表情を曇らせたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。

「あら、大変だったわね。でも、優子さん、あなたは強いわ。こんな経験をしても、ちゃんと戻ってきたもの。」

美咲の言葉に、優子は激しい怒りを感じた。

「美咲さん、これはおかしいわ！五十嵐さんの話は、全部嘘だったの？」

「嘘？いいえ、嘘じゃないわよ。でも、世の中そんなに甘くないの。お金を稼ぐって、そういうことなのよ。」

美咲は、冷ややかに笑った。

「優子さん、あなたはまだ世間を知らなさすぎるの。五十嵐さんは、あなたを『利用』したのよ。そして、あなたも、お金のために『自分を売った』のよ。それが現実。」

美咲の言葉は、優子の胸に突き刺さった。自分が、自らの意思で、この道を選んだのだという事実。そして、もう後戻りはできないという絶望感。

優子は、家に帰ると、子供たちの寝顔を見た。眠っている子供たちの顔は、あまりにも無垢で、優子は涙が止まらなかった。自分が、どれだけ汚れてしまったのか。家族のために始めたことが、逆に家族を不幸にする可能性さえある。

「世の中、そんなに甘くなんてなかったんだ…」

優子は、ソファに座り込み、ただただ涙を流した。窓の外は、もう夜が明けていた。しかし、優子の心には、暗闇が広がっていた。彼女は、この偽りの金脈に囚われ、自らの人生を、そして、家族の未来さえも、危険に晒してしまったのだ。これから、優子は、この罪悪感と、失ってしまった自信を抱えながら、どのように生きていくのだろうか。その答えは、まだ見つかりそうになかった。