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茂は、古びたアパートの一室で、握り拳を握り締めた。液晶画面には、日付が大きく表示されていた。「2010年10月26日」。競馬で奇跡的に万馬券を当ててから、ちょうど一ヶ月。彼の銀行口座には、現実とは思えないほどの金額が眠っていた。

これまで、端役やエキストラで食いつないで来た売れない役者、茂。三十路を過ぎた今も、夢は叶わないまま、日々の生活に追われていた。だが、この大金は、彼の沈黙していた人生に、一筋の光を投げかけたのだ。

茂の脳裏には、アメリカ映画『デート・ウィズ・ドリュー』のシーンが鮮やかに蘇る。自作自演で、憧れの女優に会うため、映画を制作するという大胆な計画。それを真似て、彼は自らの夢を叶えようと決意したのだ。

彼のターゲットは、人気急上昇中の着エロアイドル、奥田杏奈。その清純さと、どこか儚げな雰囲気に、彼は心を奪われていた。茂は、杏奈に愛の告白をすることを、この映画の最大の目的とした。

まず、必要なのはスタッフだ。古くからの付き合いの山下という低予算映画専門の監督、そして、演技力に定評のある若手女優、歩美を誘った。二人は茂の突飛な企画に最初は戸惑っていたが、大金と、茂の異常なまでの熱意に押され、渋々ながら協力することに同意した。

撮影は、茂のアパートを拠点に始まった。機材は、山下の人脈と、茂の金でなんとか揃えた。予算は潤沢だが、経験不足のスタッフと、初めてメガホンをとる茂の演出は、想像以上に難航した。

「杏奈さん……杏奈さんの表情、もっと柔らかく！」茂は、歩美に何度も演技指導をするが、それはあくまで杏奈を演じている歩美への指示であり、本心では杏奈への憧憬を投影しているようにも見えた。

山下監督は、茂の熱意に感化されながらも、その独りよがりな演出に頭を抱えていた。「茂さん、ちょっと落ち着いてくださいよ。もっと自然な流れでいきましょう」と、何度も注意するが、茂は一向に聞く耳を持たない。彼にとっては、これは単なる映画ではなく、杏奈への愛の告白なのだから。

撮影は、予想外のトラブルに見舞われた。大金を手にしたことで、茂の性格は一変していた。以前は謙虚で控えめだった彼は、金に酔いしれ、スタッフに横柄な態度を取るようになった。山下監督は何度か茂と衝突し、歩美も、茂の奇行に困惑していた。

それでも、撮影は続いた。彼らの前に立ちはだかるのは、技術的な問題やスタッフ間の摩擦だけではない。杏奈本人に会うためには、まず彼女と面識のある人物を見つけ、撮影の協力を得なければならない。

茂は、関係者を探し、あらゆる手段を用いた。杏奈のマネージャーに連絡を取ったり、彼女の所属事務所に直接出向いたりしたが、全て拒絶された。杏奈は、その人気ゆえに、一般人からの接触を厳しく制限されていたのだ。

しかし、茂は諦めなかった。彼は、万馬券を当てた幸運を、杏奈への愛を貫くための力に変えようと試みていたのだ。

撮影は終わりに近づき、編集作業が始まった。山下監督は、茂の狂気じみた熱意と、その幼稚な演出に手を加え、何とか見られる作品に仕上げた。

完成した映画は、荒削りで、稚拙な部分も多かった。しかし、そこに込められた茂の純粋な想いは、見ている者に何かを訴えかけてくるものがあった。

そして、いよいよ完成披露試写会の日。杏奈は来ないだろうと誰もが思っていたが、奇跡が起きた。杏奈本人が、試写会に現れたのだ。彼女のマネージャーが、完成した映画の噂を聞きつけ、興味を持ったのがきっかけだった。

映画が終わると、会場は静まりかえった。杏奈は、茂のひたむきな愛に心を打たれたのか、静かに涙を流していた。

茂は、勇気を出して、杏奈に近づいた。「杏奈さん…僕の気持ち、伝わりましたか？」と、震える声で問いかけた。

杏奈は、茂の顔を見て、優しく微笑んだ。「あなた…すごいですね」と、彼女は言った。それは、告白への答えではなかったが、茂にとっては、何よりも価値のある言葉だった。

万馬券という幸運が、彼の夢を実現する力となったわけではない。しかし、大金は彼に、行動を起こす勇気と、それを貫くための時間を与えたのだ。そして、その過程で、彼は、自分の力不足や、傲慢さを知り、多くのことを学んだ。

茂は、杏奈と結ばれることはなかったかもしれない。それでも、この映画は、彼の、人生の一つの到達点であり、次のステップへの始まりだった。彼は、これからも、俳優として、そして一人の人間として、成長を続けていくことになるだろう。